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鈴木健二

函館牛タン焼専門店梵天丸

お店は、中央病院電停のすぐ近くです。
営業時間は昼11:30am~2:00pm、夜5:30~10:00pmです。
月曜日は定休日です。皆様、仙台名物柔らかくておいしい牛タンが、函館で味わえます。
〒040-0011、函館市本町3-2七番街ビル1F、TEL0138-54-2503、店主、鈴木健二、
5月19日(土)の昼頃に函館に到着し、少々迷いながらどしゃ降りの中、梵天丸を捜し当て2:00ころ訪問いたしました。元気な二人の姿を拝見し
胸を撫で下ろしながら牛タン定食をいただいてきました。 麦飯もうまか
ったけどテールスープはコクがあって仙台でもなかなかないんじゃないのと
褒めてきました。実際美味しかったです。レンタカーを借り、その晩は大沼
公園まで足を伸ばし湖畔の宿に一泊。 翌日からは抜けるような快晴に恵
まれまして、車で近隣を散策し北海道の広大さをドライブで満喫してきました。
湯の川温泉オーシャンビューの「グランドホテル」に宿を取りましたが、その
夜梵天丸が閉店ころ 健二に呼び出され、タクシーで駆けつけ、近くの飲み屋
さんで夜中の2時ころまで秀子の漫才で腹を 抱えながら笑わされ、ホテルに
着いたのは何時だったか?その前の函館山からの夜景は最高絶景でした。二人
仲良く函館に溶け込んで元気に頑張っている様子嬉しく思って帰ってきました。
仙台から電車で4時間半そんなに遠くないことを実感しました。以上ご報告まで。
平成19年5月20日(日)冨澤信重氏記
健二君、秀子さん乗り組みの「梵天丸」が 4/3 に無事、盛況に船出しました。
誠にご同慶の至りです。開店祝いに駆けつけようと思いましたが、何のお手伝い
も出来ない身内では、却って足手纏いになって迷惑と思い遠慮し、開店2週間目の
少しは落ち着いた頃をと考えて4/16(月)~18(水) に2泊3日の函館旅行を企てて、「梵天丸」の航海状況を視察?してきました。旅行手続きをエイジェントで済ませ
た後に届いた「開店案内状」で月曜定休日を知り、結局、旅行2日目の 4/17(火)、
昼食タイムで忙しい時間は遠慮して、午後1時に訪問。帽子を目深に被り、顔が直ぐ
には見えないようにして、「こんにちは」と店の戸を開け、暖簾を潜って入りました。
若い女性2名の先客が食事中で、「いらっしゃいませ!」と愛想の良い「おかみ」の
掛け声。と同時に「あれ~?!?!」と「おかみ(秀子さん)」の驚きと喜びの声に、健二君も厨房から飛び出して来て大喜び。そんな訳で、開店を祝い、家内と二人で
「既に評判の<牛タン焼きとテールスープに美味しい漬物>」を賞味してきました。
午後10時、投宿先の「湯の川温泉 グランドホテル」へ健二君、秀子さん二人で、酒と
笹かまぼこ持参で訪ねてくれて、店では出来なかったいろいろの話に花を咲かせ夜の
更けるのを忘れて午前1時過ぎまで楽しみました。健二君の喉のヴァキューム手術も
成功で、顔色もよく少し太ったようでしたし、何よりも明るい性格で、地元の FM 放送
に出演したり、大学出の何処かインテリ風焼肉屋店主の風体も板に付き、傍らで甲斐甲斐
しく働く秀子さんも「おかみ」らしさがすっかり備わり、矢張り大学出で話題豊富で面白く、「梵天丸」の愈々の商売繁盛が期待出来ました。以上で「梵天丸」訪問報告を終ります。
平成19年4月18日(水)富山県、砂田敏二氏記

函館観光

雑感117

自分らしく生きる。新たなチャレンジ。

   我敬愛なる弟、鈴木健二が、新たなるチャレンジを期して、平成19年4月
より、北海道函館の地で、牛タン専門店、「梵天丸」を開業する運びとなりま
した。私と3歳違いの弟、鈴木健二は、28年間、私と共に、苦楽を共にして、鈴屋金物㈱の屋台骨を支えてきました。実直で、生真面目な性格から、お客様
から絶大の信頼を得て、仕事には、とてもきびしいものを持っていました。
朝は、誰よりも早く出勤し、時間、約束には、特に厳しく、いい加減さを嫌う
性格で、会社では、ピーンと張り詰めた良い意味での緊張感を作っていました。
  彼は、子供の頃から、好奇心がとても強く、とても活発な弟で、スーパーマン
のふろしきマントで、2階から飛び降りたり、自動車の下にもぐっていたずら
をして、車に足をひかれたり、池の水の中に、手を突っ込んで、鯉を取ったり、私の両親だけでなく、私もいつもハラハラして、目が離せないほど、活動的な
子供時代でした。
 
  彼は、仕事を離れると、とても優しく穏やかで、とても面倒見がいい男でした。
どこへ行っても人気者で、多くの友達に恵まれました。いつの頃からか、母の
料理を見てか、料理好きになり、多くの人にご馳走することが、彼の楽しみの
一つになりました。母がそうであったように、彼は、人に食べさせることに、大きな喜びを見出すようになりました。彼の料理の味は、年々腕前を上げ、おいしいものを探し求めては、食べ飲み歩き、良く研究しておりました。
 
  彼は、子供が小さな頃から、北海道の自然が大好きで、毎年夏には、家族で
北海道旅行をしておりました。田中邦衛の「北の国から」の世界に憧れ、いつ
しか北海道に住みたいという気持ちを育んでいきました。子供達3人が皆、立派に自立し、鈴屋金物㈱の若い社員も充分に育ってきたということで、鈴屋
金物㈱における自分の役目は一段落したと悟り、自分らしく生きようと新たな
チャレンジの道を選択したようです。長年の夢を実現させた彼の英断に、拍手です。
 
  会社の引継ぎで、二人でお客様を廻っていると、「健ちゃん、勇気あるな。」
とか「健ちゃん、うらやましいな。」という励ましの暖かい言葉が大変多かっ
たように思います。お客様の皆さん、健二専務が大変お世話になりました。
この場をおかりして心より御礼申し上げます。健二が、函館に行くことは、とてもさびしくなりますが、若い人達も育って、彼の自分のやりたいことをやる
自分らしく生きたいという第二の人生を考えると、今がベストなタイミングかも
しれません。私も二人で、長い間苦楽を共にしてきただけに、万感の想いがござ
います。
 
  平成18年9月29日(金)の鈴屋金物㈱の第56期の棚卸が、彼の最後の
お勤めとなりました。その後の健二夫婦にとって最後の鈴屋金物㈱の送別会は、
二人の新しい門出を祝福して、心暖まる社員の皆様の笑顔の中で、彼らの第二
の人生の前途の成功を祈念すべく、明るく和やかな楽しい送別会となりました。
夫婦手を取り合って、健康で、新天地で楽しく暮らしていって下さい。
28年間本当にご苦労様でした。金物屋健ちゃん、さようなら。
                           平成18年9月30日(土)愚兄鈴木誠一拝

一族送別会

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